第三話 

景元3年。曹奐即位三年目である。
春爛漫の桜の下、曹奐は楽しそうな様子で司馬孚と話し込んでいた。
それを眺める司馬昭の、異常なまでのきつい視線に、鍾会は気がついていた。
「子上さま・・・?」
横から声をかけると、はっとしたような顔でふり返る。
「どうされたんですか?」
「・・・いや、別に。」
それだけ言うと、鍾会の頭をぽん、と軽く叩く。
「お前、公閭と相当もめたんだってな。聞いたぞ・・。」
「・・・情報源は兄上ですか。もうおしゃべりなんだから・・・・。随分以前の話ですよ。」
話を逸らされたことを薄々感じながらも、鍾会は答えた。
司馬昭は薄く笑うと、再び目線を二人・・・司馬孚と曹奐に移し、だが鍾会に向かって話し続けた。
「あんなに仲良かったのにな。原因はヤツか?」
「ヤツ?」
「・・・・今は亡き、あれか、と聞いたんだ。」
司馬昭が言うと、鍾会は溜息をついた。
「・・・直接的な原因は。でも、間接的な原因は他にありますよ。」
「ほう? お前達の間にか? なんだお前。あいつの愛人にでも嫉妬したのか?」
からかうような声で言う。
賈充と鍾会が仲良くしているのは、自分にとっても都合のいいことだと司馬昭は放置していた。
むしろ、この二人が仲が悪くなり、私利私欲に走る方が問題であったわけで。
だが、一方は賈家の家長であり、お家大事の人間。
鍾会の方はというと、結婚もしなければ特定の側室をおいたりということも無く・・・まあ、その原因の大半は司馬昭にあるのだが・・・とにかく、そういう事には一切興味がないようで。幸い、鍾会は末っ子で、既に鍾家は兄の鍾毓が継いでいる。
それだからこそ、司馬昭の寵を争うわけでなく、上手くやっている。
勿論それが一線を越えていることも司馬昭は知っていたが・・・鍾会はそういう性格だ。
良く言えば、風の向くまま気の向くまま、思ったときに思ったことを行動する。
だから気にも止めなかった。
「何を争ったんだ?」
「・・・子上様がやらないから、私がやろうと思っただけですよ・・・で、許していただけますか。」
「ふん、そんなことだろうと思った。」
司馬昭は軽く溜息をついた。
彼が鍾会の兄・鍾毓から聞いたのは、「士季が公閭を刺そうとしました。私と玄伯で止めましたけど。・・・貴方の所為です。貴方が先帝・・・・いえ、高貴郷公の件の処断を、誤ったからです!」というきつい一言。もっともその一言を内密にでも司馬昭に言うのは勇気がいったのか、鍾毓はこのところ病に伏している。もっとも、事件の直後に皆の前で司馬昭に「賈充を腰斬に」と言った陳泰・・・字玄伯は、その後病に倒れ、既に帰らぬ人となっていた。
「もし士季が刺していたら、ただでは済みません。本人だって解ってたはずです。なんであなたが気づかないんですか!私よりもずっと士季の信頼を得て、側に置いている癖に…」それだけ言った鍾毓は、その後無言で去った。
今は亡き、先帝。司馬昭を廃そうと自ら剣を持ち、そして返り討ちにあった若き皇帝。
その彼を殺すように支持したのは賈充であり、皇帝の友人であった鍾会は、それを許せなかったということだろう。
その事件も随分前・・・高貴郷公が亡くなってすぐの事で、たまたま司馬昭の耳に入らなかった、というより、当事者四人が黙っていただけのことだ。流石に賈充も、そのことは司馬昭には何も言ってなかったらしい。
もっとも、物陰からの刺客など賈充は恐くないだろう。その手の恨みは鍾会以上にかっている筈だ。
「そんな、もう二年近く前のことを今更。とっくに誰かから聞いて、知ってると思ってましたけど。」
「私はつい最近聞いた。お前達、役者だな・・・。そんなことがあったのも気付かなかった。」
「・・・今更ですよ。」
鍾会が独り言のように言うと。
「お前は根に持つからな。で、公閭と仲直りはしたのか。」
「・・・まあ・・・もう二度とやる気はないですよ。ご安心下さい・・・あの人あれで腕力あるしね・・・」
曖昧に語尾を濁された。
賈充の方ではどうでもいいと思っているのか気にもしていない様子であるが、鍾会の中では相当大きなしこりとなって、暗く影を落としているようだった。だいたい、鍾会は一度やられたことを相当根に持つ。
「お前にもわかると思ったがな。何度も言ったが、私のために皇帝殺害までを躊躇せずする人間は、これから先も有用だ。そう言っただろう、何度も。」
「私にだっていくらなんでもそれくらいは・・・でも! 理性と感情は別・・・・っ!!」
鍾会はそれだけ言うと、もうそれ以上の争いを避けるかのように、そこから立ち去ろうとした。
このまま言い争っていても、司馬昭を怒らせるだけのことだ。
それだけは、鍾会はしたくなかったのだ。どうあっても嫌いにはなれない司馬昭を。
「お前・・・」
司馬昭が肩を掴む。
その時に、こちらに気がついた曹奐が声をかけてきた。
「あ!! 士季殿!! 来てたなら、こっちこっち!!」
「・・・・はい、すぐに参りますよ。」
都合のいいときに声がかかり、鍾会は曹奐の方へと向かう。
司馬孚と曹奐に近づく際、ちらりと半分ふり返り、司馬昭の方を見た。
その時・・・司馬昭はぞっとする。
まるで別人のような目で、自分を睨んだのだ。
明らかに、憎悪と殺意のこもった目で、鍾会が自分を睨んだ。夜ごと見つめる目とは別人のような、冷たい光。
あんな顔をできるのか、というような表情。
だがそのすぐ後・・・諦めきったような表情になり、ふい、と視線を逸らされる。

ほんの一瞬の出来事だった。



司馬孚が入れ替わりに司馬昭の所へ行き、今度は鍾会と楽しげに話をする曹奐。
「・・・ねえねえ、士季殿、蜀に行くって本当?」
「ええ。陛下のために、賊軍を蹴散らして参ります。」
「頼もしいなー。士季殿、大好きv」
曹奐はそう言うと、腕を組むようにして、鍾会の耳元に口を寄せた。
「で・・・・最近の子上はどう?」
「そうですね・・・。少しお疲れ気味とか、そんな感じです。」
「そうなんだ。・・・心配?」
「ええ、まあ。・・・・でも、あの人はお強い方ですから。」
鍾会はそう言ってにっこりと微笑みかけた。
この宮廷に来たばかりの頃はもっと華奢で小柄だった曹奐だが、少し、背は伸びたようだ。
それでもまだ、鍾会より少し小さい。

・・・それにしても、どういうつもりで子上さまを心配しているんだろう?

鍾会はいぶかしく思う。
常識で考えれば、司馬昭に何かあったら一番喜びそうなのがこの曹奐である。
それでもこうして心配するところは、単に人が良いのか、それとも影で言われるように、愚かなのか・・・。
だが、それに鍾会は安心する。
どちらにしろ、高貴郷公の様な事にはならない、そう思って。
もう、沢山だった。
あんなことで、人を失うのは。
人がどう言おうと、自分は彼の友人だった。殺したくもなかったし死なせたくもなかった。
「ねえ、じゃあ、士季殿、蜀に行く前に、もう一度だけここに来てね。いいものあげる。」
「ええ、参りますよ。」
そして・・・鍾会越しに曹奐は司馬昭を見て・・・・睨んでいる司馬昭と目が合う。
「ふふ、貴方の飼い主が睨んでいるから、そろそろ解放しないと。」
「え・・・?!」
その言い方にぎょっとして鍾会は聞き直そうとするが。
「じゃあ、もう一回だけ会いに来て。約束だよ。待ってるから。」
そう言って、曹奐はにっこりと、その顔に微笑を浮かべた。



忌々しげな目で見ていた司馬昭だけが、最後に残された。
庭園の中は二人きりで、桜の花がはらはらと散っている。
「ふふん、貴方には花を眺める情緒なんて無いでしょう。」
「私は秋の方が好きですね。」
冷たく言うと、曹奐は声をたてて笑った。
「そうなんだ!!」
そして。
「貴方がねえ・・・ふふふ・・・・。そんな情緒が、あったんだ!」
けたたましく笑う声。あからさまに馬鹿にしたようなその声に司馬昭は怒りをあらわにしようと思ったが・・・・。
 「・・・陛下、私はこれで下がらせて頂きます。」
それだけ言うと、まだ笑っている曹奐を残してそこを立ち去った。
からかうような笑い声は、まだ耳に届く。



その後しばらくして、鍾会が曹奐を訪ねてきた。
もちろん、蜀へと出発する前である。
「ありがとう、来てくれると思っていた。・・・貴方がいないと、さびしくなっちゃう。」
「・・・・・・。」
鍾会は薄く微笑んだまま、そっと曹奐に近づいた。
「・・・司馬叔達殿がいらっしゃいます。安世殿も、あなたの良い話し相手でしょう。」
「うん。・・・・でも、二人とも“司馬”だからね・・・・。」
「・・・・・。」
鍾会は苦笑した。
「貴方もまあ、どっちかというとそうだね。・・・でも、貴方は彦士さまに優しかったそうじゃない?」
にやりと笑って言う曹奐・・・その言葉に、鍾会は硬直する。
「だ・・・誰がその様な事を?」
「ふふ・・・。私たちの情報網は、案外有るんだよ。」
そう言って、更に傍に鍾会を手招きした。
青い顔をして、おそるおそる近づく。
「そんな顔しないで。・・・それを責めているわけじゃないんだから。友達でありながら死なせたことをね?」
鍾会がびくりとする。
なにを言っているんだ、この子供は……
「なんちゃって。はいこれ」
そう言うと、小さな袋を手に取ると、そっと鍾会の手に握らせた。
冷たい手が触れ、包み込む。
「これはお守りだよ。蜀平定の祈願をしてあるんだ。もし、成功したら、これは中身を出して、火にくべてね。」
「有り難うございます。」
「肌身離さず持たないと、効果はないんだって。弓除けにもなるから、必ずね。」
そして、鍾会の首に手をまわし、抱きつく。耳元に口づけながら。
そうすると、応えるように鍾会は、曹奐の喉元に優しく口づけした。
「ん・・・。もっと強く。」
「残りますよ?」
「ううん、もう士季殿もいなくなっちゃうんだもん。・・・貴方の痕跡を残して欲しい・・・。」
「・・・我が儘ですね。陛下。」
仕方なく・・・というよりは嬉々として、曹奐の喉元に噛みつく。
強く吸って、紅い血のような痣を残し・・・それを何カ所かに。
「士季殿のくちづけって、気持ちいい・・・。」
「ありがとうございます。・・・でも、これ以上は痛々しいですよ。」
「うん・・・。でも、もう少し・・・・。」
そう言って、強請るように指を伸ばす。
「・・・いいですよ。」
襟元をくつろげ、帯を解く。
鍾会の脳裏には・・・先帝との美しい記憶の中・・・同じ場所で、同じような行為。
「・・・ごめんね・・・・・。」
「?」
曹奐の謝罪の意味がわからなかったが、そのまま行為を続けた。彼に、快楽だけを与えるように、優しく。
「・・・・・っ・・・・・・。」
甘い吐息が漏れ始める。
鍾会は曹奐の身体に唇の痕を付け、そして、指先を滑らす。

身体の中心を手で包み込み、優しく刺激を与える。
そして、欲望の兆したそこに、舌を這わせた。
身体はびくりと跳ねるが、細い腕で押さえつけ、そこを口に含んだ。
「・・・っ・・!!  ぁ・・・・」
鍾会の舌と唇が甘い刺激を与え、曹奐は自分の脱いだ衣に爪をたてる。
もう一方の手で、鍾会の頭を撫でる。
「・・・足にも・・・・・。」
曹奐が呟くと鍾会は、足の付け根にも鮮やかな噛み痕を残す。
「・・・士季にもしてあげようか・・・?」
「いえ・・・。私は。」
「だって、もう最後じゃない。」
そう言うと、上半身を起こし、鍾会を招き寄せた。
「貴方に触れてあげる。・・・・ね・・・・・。」
そして。



美しい瞳が、自分を穏やかに見つめていた。
明らかに・・・鍾会が見ているのは「曹奐」ではなく「曹髦との思い出」。
それでも、曹奐にとってはどうでもよかった。
もとより鍾会を好きな訳じゃない。
ただ、美形好みで淫乱で、なおかつ自分の言うことを聞きそうな人間が欲しかっただけ。
こうして情交の痕を残してくれる相手が。
「貴方がいないと寂しくなっちゃう。元気でね。」
「ええ、陛下も・・・・。」
ご自重なされよ、と言うほどの事は、この曹奐はしそうにない。
かといって、他に言う言葉も見つからない。側にいるのも恐い。また失うかもしれない。
鍾会はそう思い、後の言葉が続かなかった。
「・・・では。」
曹奐の頭を撫でながら囁く。
「こうしてまたお会いできるのを楽しみにしております。」
そう言って、退出した。
言ったとおり、手渡した袋は懐に入れられたようだ。
お守り、しかも皇帝陛下から私的に下賜されたものを、粗末にするような人間ではない。
彼の足音が遠くに去るのを聞きながら。
「・・・ごめんね、士季。もう、貴方には二度と会えないよ。私も、子上もね。」
くすくすと笑いながら。
「貴方は大好きなんだけど、飼い主が子上じゃ、私はかわいがれないから。」
闇に響く、甘い声。
愚かに見られるのは屈辱ではあるけれど。
こうして役に立つ場合も、あると。

鍾会は気付かないままに、騙されてくれる。
司馬昭は、それを怖れるあまりに騙されたことにすら気付かない。
そして安世は、単純に引っかかる。
「子供と思って甘く見るから、み〜んな、自分が悪いんだよ・・・いい年した大人の癖に」
その独り言は、静かに闇の中に消えていった。

 

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