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Everything is concealed from your eyes 2
翌日、司馬昭が鍾会を呼びつけた。 「なんですか、忙しいんですけど」 いつになくつれない態度の鍾会に、司馬昭は怒るわけでもなくニヤリと笑って言った。 「昨日できなかった用事を片付けるのにか?」 「……何のことでしょう?」 なるべく表情を変えないつもりだった。だが、司馬昭にはあっさり見抜かれる。 というより、鍾会は司馬昭に対しては自分を隠すことはあまり出来ていない。 「ああ、とぼけるか。お前も案外可愛いところがあるんだな? ま、その可愛さに免じて許してやる」 「・・・はあ・・・・」 許してやると言いつつ、にやにや笑いは収まっていない。 やばい、これは何かあるぞ・・・と、鍾会は流石に身構えると。 「兄上はさ、お前の事気に入ってるよな?」 「?」 確かに、と鍾会はそれは自覚していた。 はじめて会ったときから、自分の才能をべた褒めしてくれた司馬師。あの人をよせつけない態度を思うと、自分はずいぶん気にいられている方なのだろう、と。 それも致し方ない。 司馬師は「よい子」で「後継者」であるために、あらゆる交友関係を犠牲にして生きてきていると言っても過言ではない。 過去の付き合いや過去の姻戚関係、そんなものに何も躊躇することなく処断を続ける彼の、心置ける相手など既に相当数居なくなっているはずなのだ。 ある者は殺され、ある者は去り、ある者は裏切り。 その中で、ここにいられるということは、彼に気には入られていると。 「お前さ・・・今度の皇帝の即位で、いま東の方が不穏なの、知ってるよな?」 「ああ・・・まあ・・・・」 鍾会は頷いた。そう、確か毋丘倹が、なにやら訳のわからない抗議文を振り回してどうのと言っていた。 「ならば、討伐戦には、兄上が出陣するように口添えしてくれないか?」 「・・・・え?」 ぎょっとして司馬昭を見る。 司馬昭は、やはり笑っていた。先ほどの不気味な笑い方ではない。 心の底から、楽しそうに。 「・・・子元様は、お身体が・・・目の手術もされたばかりで・・・」 「ああ、解ってるよ」 ああ、そうか。愚問だったな、と鍾会は思う。 「今なら、何の争いの種も無いな」 「・・・ですね。子元様には、男の御子はいらっしゃらない・・・」 鍾会の言葉に彼は気付かなかったが、司馬昭は気付く。 「男の御子、か。意味深な言い方だな」 「・・・・・・!!」 うっかり口を滑らせたことに、咄嗟に取り繕えない。 だが司馬昭は、そこには触れず言葉をすすめてしまう。 「兄上自ら討伐に赴く・・・これが最良の鎮圧だと思うのだが?」 「そんな・・・・!!」 「せめて戦場で、とも思うな。あれほど気にしていた蜀には、もう行かれないのだから」 「確かにそうですが、反乱の鎮圧なんて司馬叔達殿で充分役目を果たせるかと・・・」 声に、僅かに抗議がにじみ出る。 自分だったらどうするだろう? 司馬昭が非道過ぎるというわけではない。司馬師の威光を見せつける、という考え方もある。 だが、ここで戦場などに出れば間違いなく司馬師の病状は回復どころか悪化するに決まっている。命を落とす可能性の方が高くなる。しかも、戦闘以外で。 そして、その兄殺しに、自分を荷担させたいと、そういう訳か。 「嫌だと言ったら?」 「は?」 「子元様に進言しない、と言ったらどうしますか?」 ああ、そんなこと・・・と、司馬昭は鍾会の頬を指先で撫でて言った。 「お前は絶対に、やってくれる」 しばらく後に、本格的に寿春への出陣が検討される。 やはり大方の空気は司馬師ではなく、誰か別の者に派遣させるというものだった。 だが、王粛と鍾会による進言で、司馬師自身が自らの出陣を決めたのだ。 王粛は、司馬昭の義理の父。司馬昭の後継者である司馬炎の外祖父。 そして、鍾会と司馬昭の間については誰もが知っている。 「・・・ああ、やっぱりな」 躊躇したにもかかわらず出陣を迫られた時に司馬師は自分の思っていたことの正しさに、深く感じ入っていた。 ・・・鍾会と王粛か・・・まったく、ろくでなしどもめ。 ・・・つまりは、そういうこと。あの弟は自分すら消しにかかってきたのだということ。 どうせ男子もいないのだから、いずれは奴に行くはずなのに待ちきれなかったと言うことか。 まあそれも仕方がない。私はどちらかというと、あの皇帝は好きだしね・・・。 それが、昭にとっては都合悪いのだろう 自分さえいなくなれば、或いは曹家へ引導を渡すのは早まるのだろうか。 不孝で不忠な自分に、司馬師はもう笑いすら浮かばない。 それが良いことなのか悪いことなのかもどうでも良かった。 出陣前に、司馬昭を部屋に呼んだ。 綺麗に整理された部屋に、無駄なものは何一つ無い。 静かな目線を向けて司馬昭を見ると、彼は一瞬目を逸らそうとしたようだったが、また強く見つめ返してきた。 精悍で誠実そうな弟を見ると、むしろ彼が自分の後継者で良かったと思う気持ちは強くある。彼で良かったと。 それでも、釘は刺しておかなければ、いつか彼は足をすくわれることになるかもしれない・・・それはどういう気持ちからか、司馬師は既に考えていない。 「・・・覚えておけ。人にやったことは自分がいずれやられるということを」 冷たい目で言うが、弟にひるむ様子は無かった。 「否定はしないな。言い訳もしない。そういうところは好きだったよ」 そう言うと、大将軍の印である印綬を彼に向かって投げ渡した 「どうせ近いうちに死ぬ。お前が持っておけばいい」 受け取ったものを見て当然のようににやりと笑うと、司馬師に近づいて耳元で囁いた。 「・・・ありがとうございます」 司馬昭は不敵に、自信に満ちた微笑を見せた。 それを見て、司馬師は目を細めた。 自分から全てを奪おうとしているはずなのに、その奪われるものを惜しいとは、司馬師は思えなかったのだ。 「士季、ちょっと来い」 司馬師は鍾会を捕まえると無理矢理大将軍府の奥に連れていく。 腕を掴まれ大人しくついていく鍾会に、周囲はぎょっとして振り返るほどにそれは妙な光景だった。 「・・・怒ってます?」 しれっと聞く鍾会に、ああ、そういう子だよね君はね、と司馬師は急におかしくなった。 「怒ってない。お前は私か昭なら昭を選ぶ人間だ、仕方ない」 「言っておくけど、子元様とした約束は守ってますよ」 「解ってるが、安心しろ。私はお前が裏切るかもしれないことなど約束した瞬間には想定している」 「あらら、私はそんなに信用無いかな」 「さて。娘はもうあそこにはいない。もう私とも二度と会うことはないだろう」 「・・・そうか、残念」 心にも無いことを言ってふふ、と笑う鍾会。司馬師も笑いながら問い返す。 「そんなに昭が良いか・・・なんて、愚問だな? 言いたかっただけだ、そんな顔するな」 一瞬、ほっと息を抜く鍾会に、だが司馬師は容赦の無い一言を刺した。 「でも、いつか君も何かの選択を迫られるかもしれないな。君が何に仕えているのかのね」 司馬師は表情を変えなかった。 「子元様・・・」 「これが、私の結果だ。・・・家の為に尽くし、家の為にこの様だ。だが後悔はしていない。そしてお前達に奪われるもの何一つ、惜しいとは思わない。どうしても奪われたくないものだけは隠したがな」 ・・・それが、あの娘か。 司馬昭の手駒にしたくないという気持ちは解らなくもない。それこそ、処刑された男の姪では、本物の捨て駒になる可能性ばかりだ。 娘には敵意をもたれ、弟には死地に追いやられ、そしてそれを結果という。 だが一つだけ、鍾会には解らない事があった。 「そこまで思っていて後悔していないのは、何故ですか」 腕を掴んで見上げる鍾会に、司馬師は冷たい笑いを向けた。 「お前も昭も気に入ってるからだ。」 鍾会は、思い出す。 娘が司馬師に言った、「・・・長くは眠れません」の言葉。 そして司馬昭が言った、「せめて戦場で」の言葉。 2人とも、ただ殺すなんて言って無いじゃないか。 本当は殺したいけれど、それでも、出来ない。それは、どうしてだろうかと司馬師は考えないのか。 プライドを守ってくれるくらいには彼らに愛されてるじゃないか、そう思った。 何が結果だ。結果、愛されてる。馬鹿馬鹿しい。 「子元様は私より皆に愛されてますよ」 「そうか? お前のように愛嬌ふりまいてなどいないぞ」 愛嬌、というところに含みを持たせる。 「そんなもの無くても尊敬され愛されてるよ、子元様」 「それでも殺すか?」 「死ぬと決まってないですよ。反乱は鎮圧され、あなたの名将っぷりが称えられるかも」 「・・・可愛い顔して、しゃらっと嘘をつくのはそろそろやめておけ。年齢的にアウトだ」 「うわ、酷い」 でも、2人は笑った。思い切り。 そして出陣し、完全な鎮圧を前に司馬師は病状が悪化し、洛陽に帰ることになる。 変わって軍をまとめるという男が来たときに、司馬師はため息をついた。 「・・・軍をまかせる相手は君か。・・・昭の手際の良さには呆れる」 賈充にそう伝えると、彼は薄く微笑した。 ああ、君もいいな。そこで笑うんだ。そういう人間はけっこう好きだよ・・・士季といい、昭は部下の趣味はいいな。 「君なら、皇帝でも平気で手にかけそうだな」 「どうしてそう思われます?」 「同じ匂いがするからだ。・・・昭とな」 司馬師はくくくと笑った。ああ、皆、似たもの同士か。それは確かに仲良くなるかもな、と。 「・・・聞いてもよろしいですか?」 「なんだ?」 「何故、避けようとは思わなかったのですか?」 この事態を、ということか。 「避けてどうなる? 私には男子はいない。どちらにしろ昭の子に繋がるんだ、今さらだろう?」 「・・・お嬢さん方を遠方にばかり嫁がせたのはそういう理由?」 「それくらいしか出来ないから。・・・目の届かないところにおかないと、いつ誰に殺されるかわからん」 唯一愛した夏侯徽の娘達。誰一人として不幸にはしたくない。 夏侯玄を殺したことで、実の娘達にも恐れ恨まれている自分に唯一してやれることは、このまま彼女たちの一生を、静かに過ごさせることだけだ。 「君は? 子供は?」 「娘ばかり」 「ほう? 同じ立場か。ならば解らなくもあるまい?…せめて、娘の嫁ぎ先を厳選してやるんだな」 「・・・・・・・」 その後、賈充は静かに、司馬師の病状に触らないよう引き継ぎをし、司馬師を洛陽に送り出した。 「あなたのその言葉、深く心に刻みましたよ…」 去っていく一軍を見ながら、賈充は呟く。 そして、初春の洛陽。 ああ、もうすぐだ・・・ 司馬昭は、司馬師の体を眺めながら思った。 目の包帯が血が滲んで痛々しい、細い身体。 意識はあるのだろうか?と疑問に思うくらい色も白く、まるで死人のようであった。 ……自分の兄でさえなければ、いっそひと思いに殺れたのにな…… 腕を取ると、何を思ったか指先を舐めてみる。 「・・・?」 鉄の味? ああ、血か。 「あなたはいつも、何を見ていたのか」 「・・・昭?」 かすかな声。握った手に、思わず力が入る。 白い、冷たい手。 「隠さないで教えてください」 「・・・お前にはわからんよ・・・」 ふっと笑った。何を見ていたのか、か。 本当は私は、何からも目を背けて生きていた・・・司馬師の答えは、もう言葉に結ばれることもなく。 「では、最期くらいは私を見てくれますか?」 うつろな目に、司馬昭の姿は、映ったのだろうか。 もう既に何も見えていないのかもしれない。 だが、司馬昭は彼の握る手に、かすかに力は入ったことに気がついた。 そして、するりと抜け落ち、その手はもう自分の意志で動くことは無くなったのだった。 全ての物は片付けた。見られたくないものは、全て隠した。 さあ、お前にはもう見つかるまい。 そして、一番いらなかった物だけをお前に残してやる。 何故、この一番いらないものを欲しがるのだろうか、皆。私はこんなもの、いらなかったのに。 けれど、お前が欲しいと言うのでは、仕方がないな。 お前はそうして生きていけばいい。愚かで愛しい弟よ。
終わり
後書きは2011年1月28日の日記にございます。→■
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