| Crown me,with the Pure green leaf 「ああ、面倒だなあ・・・」 穎はぶつぶつ言いながら馬に乗っている。 長い山道も下り坂、これだけの道のりの中、彼の「疲れた」「まだ?」「あとどれくらい」は聞き飽きていた。 もともとの顔が良いから、笑顔でいようが怒っていようがそれなりに様には成るのだが、これでは周囲の衛兵はたまったものではあるまいに、と盧志は思う。 周囲は「頼みますよ」という顔でちらちらと盧志を見る。 好き嫌いの激しい彼に言うことを聞かせられる人間は少ない。 彼は立っているだけで人目を引く。なにより、その姿は内面を五割り増し以上に見せている。 この彼が、よもや字も書けないとは誰も思わないだろう・・・などと暢気に思っていたら、いきなり名指しで愚痴が来る。 「盧志、もう馬上はつかれたんだけど!」 周囲は彼の怒りを恐れて何も言わない。だが盧志はきっぱりと言った。 「全員そう思っております。解決の無い愚痴はおよしください」 「・・・・・・・・」 「しかも、馬がいいと仰ったのはあなたです。ここでは車も呼べやしません。歩くのでしたらともかく、それがお嫌でしたらしばしそのままでお願いします」 「ああ、もう解ったよ!」 むっとしたまま、でも盧志に逆らうと後々うるさいのでそこは言うことを聞いておく。その程度の知恵はある。 人前で正論100%の説教をされるのは好きではない。 だが、一番自分のことを考えてくれているのも彼であるというその気持ちは理解できる。意地悪に見える言動もなにもかもが、自分の為を思って行われていることも。それを本当に理解できるほど深く考える性格ではないが、彼の暖かさは伝わる。 それでも今も少しカチンときたので、仕返しならあとでたっぷりしてやろうくらいは思い、軽く睨んだ。 「はい、仕返しは後ほどですね。了解しましたよ」 小声で言われて、既に立つ瀬はない。 盧志は相変わらず、表情のそう無いまま、遠くを見ていた。穎には彼の表情は読めるらしいのだが、他の人は残念ながら、「この人って笑うの?」くらいな印象しかない。 一見柔和そうな整った外見だが彼こそ、穎の「知能」だ。彼がいなければいまの穎はあり得ない。 何故かれが穎に付き従うのか、それすら不思議なくらいに彼は才能があった。 ふと、その彼が手を上げる。 すると、この行列自体が止まる。 盧志のおかげできっちりと全てが行き届いているこの一団。彼のおかげということを気に配る主君でもないわけだが。 「どうした?」 穎が聞くと、盧志は馬を下りて穎の判断を「一応」仰ぐ。 「これから桟道ですから・・・どうしますか、歩きますか? ここから剣門関までは結構長いですが、同時に危険な桟道でもあります」 彼は少し考える。心なしか青ざめた顔で、答えた。 「たまにはそれでもいいな・・・馬上も飽きたし」 「蜀桟道は危ないですからね・・・」 盧志は無表情のまま言った。 「馬から転落したら、あの峡谷にまっさかさまです。ねえ?」 「やめろよ・・・」 穎はびくっとして盧志を見た。 「昔・・・蜀征伐の時に、指揮官だった鍾士季が桟道の補修ミスで許儀を斬ったという話がありますね?あれはもっとずっと手前でしたけれど。そこより危険なここを、かの方はどう通ったのでしょうか。まさか自分だけ輿とかは無いでしょうけどね。蜀征伐でそのような事をしたら間違いない、敵国のいい笑いものです。私も爆笑しますよ」 何かを含ませ言う盧志。嫌みではなく、一応彼なりの誘導でもあるのだが。 だが、「私も爆笑」のくだりで周囲の兵士が皆笑いを堪えていた。 「斬った気持ちは解るな。同様の事があったら私だって本当にその場で斬るぞ」 「斬った振動で桟道が壊れるかもしれません、やめてください」 「・・・盧志、頼む、高所恐怖症なんだ、やめてくれ」 ・・・だから面白いんですけどね?とは言わない。心の中で笑うだけ。 穎は都会育ちの典型的都会っ子。山道や峡谷など本来はとんでもないと思っているだろう。中原の田舎と蜀では全然違う。 余程怖いのか、盧志の袖を自然と掴んでいた。・・・周囲の兵士もそれを見て、やはり笑いを堪えている。 ・・・皆さん口が波打ってますよ・・・ 軽く腕を掴んだ穎の手を、自分の手で握るとそっと離し、そして周囲に命令する。 さっと人が出てきて、彼の馬を引いていった。 馬を引いていった者は、自分たちが目に入らなくなったら爆笑するのだろうな、そう思って。 ところで司馬炎の息子である成都王穎と、そしてそのお気に入りの家臣盧志。以下、従者たち。 彼等はどこへ行くのかというと・・・「折角だから成都見物!」程度のお遊びである。少なくとも穎にとっては。 穎はどういうわけか人好きがするようで、洛陽を出るときなど人だかりが出来たほどである。皆、彼を一目見ようと。 またそれに笑顔で応えちゃったりするのだからいろんな意味で始末に負えない。 それはつまり、些細な行動が人目につくということでもある。 だから、盧志はつききりで彼に横から指示を与える。でないと、このお坊ちゃまは何をしでかしちゃうか解らない。「王」である彼のしでかすことは、一歩間違えば大きな災厄を招く。だからこそ、つききりなのだ。妻子は「いっつもべったりぺたぺた」と笑いものにしているらしいが、それくらい穎は放っておくと「やばい」部類。趙王倫と張る××なのだから。 ・・・安世様の子が・・・ねえ・・・? 盧志はいつも考える。 ・・・趙王は司馬懿殿の子だから・・・血筋は関係ないのかも・・・ ただ、司馬炎は努力だけはする人間だった。 穎は努力すらしない。 ・・・多分、司馬懿・師・昭も努力の人だったのだろう。カリスマの無い凡人としてはそれ以外は無いのだから。 だが、穎は真逆だった。努力ゼロ、才能ゼロだがカリスマだけはある。 自分の役割はもちろん、彼が皇帝になれば嬉しいがとにかく彼の人生をまともに全うさせてやること、それが一番だ。 今回の成都見物も、「折角だから」と勉強がてら連れ出した。 幼い頃、確か陳寿に成都の話を強請って聞かせて貰ったことがあると笑顔で言っていた。実際の蜀を、彼がどう語ったのかは聞いてみたい気がしたが、もうその彼もこの世にはいない。 「ここを抜けると剣門関ですよ。周辺を御覧になられますか?」 「なんかある?」 「・・・そうですね、昔の、蜀漢の大将軍の墓所が・・・」 「誰?」 「姜伯約・・・」 「ああ、知ってる。最後まで闘ったとか聞いた」 穎の返答に、盧志の方が驚いた。 流石だよ陳寿さん! 穎様に理解させるなんて! しかも司馬家の子孫にそこを話すなんていろんな意味で凄いよ!・・・という、まったくもって失礼な驚き。 「穎様、よくご存じで。・・・で、その方について他に何か?」 「なんでも、お祖父様が「手厚く葬れ」と言ったとか、だよね?」 「そうですね。・・・そう仰ったかもしれません」 一緒に反乱を起こした鍾会を弔った者は厳罰に処そうとしたのに、ね? その処世術に実は盧志は思い浮かぶことがある。なにせ、先祖の出生の影響下はわからないが盧志は幽霊話が好きだ。その中でこの時代メジャーだったのが、司馬懿と司馬師である。 司馬懿と師は、その死の際に「お迎え」が来たとか。自分が罪に落とした者どもの。 それを恐れて、司馬昭は「とりあえず成仏して貰わないと!」と思っていたのでは?と自分は思っている。姜維の幽霊なんて出たら、その迫力で心臓が止まりそうなものだ。まあ、もう止まる直前なのだが。 だがそうすると鍾会はどうだという話になるが、鍾会の幽霊は怖くないんだろうねえ。それはほら、アレだしね?という噂も聞いたことがあったので、よく覚えているのだ。しかも出所はやはり陳寿・・・余程彼もその手の話が好きだったのか? そもそも、政府役人というのは案外他人のスキャンダルは大好きなものなのだ。 ・・・もう何十年も昔の話だ。 「盧志はどう思うの?」 穎は、含みのある聞き方をした。 「何がですか?」 「最後まで国のために闘った忠臣ってものについて」 ああ、そういう事ですか。 「すばらしいですね。私も是非見習いたいものです」 「・・・ふうん? それは私のためか? ・・・兄上のためか?」 「本音を言えば皇帝陛下への不忠を咎められますよ、穎様・・・」 唇の端に微笑を滲ませて言い返すと、穎は満足げに笑った。 蜀漢大将軍姜維墓・・・墓誌にはそのように書かれている。 その前には、花や供え物が絶えないという様相で、いろいろな物が置かれていた。 墓の前で、穎は言った。 「ねえ、不思議なんだけど・・・盧志には答えられるか?」 「何をでございますか?」 「ここに来るのに、いくつもの山を越え、凄く大変だったよな?」 「そうですね」 「・・・成都は豊かな場所だと聞く。なのに、なぜそんな思いをしてまで北に向かったのだ、彼は?」 ・・・おいおい・・・姜維の話を聞いたと言っていましたよね? それでその質問ですか。 ちゃんと聞いてなかったのかやはり・・・ 盧志は半ばあきれつつも、それでも可愛い穎の為なら細かくかみ砕いて説明する。 諸葛亮の北伐から始まり、蜀が滅亡し、成都が滅びるまで。 「ふーん・・・・」 穎は頷く。 「なにか、これ以上疑問でも?」 「そこまでする意味がやっぱりダメだ、解らないね。閉じこもっていれば危険もなかっただろうに」 「それを言われれば、どこだってそうですよ」 誰だってそうなんです。でも、鳥は自由に空を飛びたいでしょう? それと一緒ですよ。窓から、門から、広い外が見えれば出たくなるものなんです。 「ふうん・・・・」 「・・・あなただって、人のことは言えないでしょう? 一生成都王であっても、私はあなたについていきますが」 「・・・・なるほどね」 「飛ぶことを覚えた鳥は、飛びたがります。・・・それと同じです・・・・」 漸く理解をしたようで、得心の笑顔で頷いている。密かに存在する、穎の野望に盧志は添っている。それはあくまで密かであり、考えようによっては今の王朝にとって無くてはならないものの一つであるのかもしれないが。 穎は腕組みをしながら何かを考えるように立っている。その立ち姿一つでも相当さまになっている彼を盧志は見ていた。 腕組みをしてその様は素敵ですよ、穎様。でも・・・ ・・・頼むから、大事な話を忘れないでくださいね・・・・という、盧志の心の声が聞こえたのかは解らない。 盧志は、姜維の墓を正面から見据えた。 ・・・戦うことしか考えていなかったのか、或いはそれしか残っていなかったのか 一瞬、強い風が吹いたような気がした。 ・・・仕える相手を間違えたのか 劉禅と穎と、どちらが暗君か。似たような物かもしれない。だが、穎の兄の恵帝もまた似たようなもの。 そういう人間に巡り会ってしまった姜維は、盧志から見ても恵まれていたとは言い難い。 自分の方が恵まれているのは、穎に愛されているという一点のみ。それは相当の幸運であると思う。 もう何十年も前の人間なのにその悔しさ、悲しさ、そして最後に何を思ったであろう悲痛な痛みはいまなおここに息づいている気がしてならない。 ・・・あなたの翼は、最後まで折れることが無かった。なんという忠誠心・・・ ・・・私も、同じ運命を辿ることになってしまうでしょうか・・・ね・・・・ 「いい加減、行かないか?」 穎に声をかけられて、はっと振り向く。 「すみません、少し、姜将軍の霊とお話でもと思いまして」 「ふーん・・・そう? ほんと霊とか好きだな、盧志は。なんの話をしていたのやら」 穎はそう言うと、盧志の顎を持ち上げた。 「・・・場所が場所です。そういうことは・・・」 「つまらんな」 軽く穎の機嫌を損ねた。 仕方のない人だ、盧志はやはり心の中でだけ笑う。そういうところが可愛いと思うので。 「穎様?」 「・・・・・・」 むっとしたかおで振り向いた彼の腕を掴むと、引き寄せて、軽く唇に触れてみた。 「これで我慢してくださいね」 薄い唇にすっと浮かび上がる、艶やかな微笑。 穎はそれを見て、取り敢えずは納得してくれたようで。 「・・・覚えてろよ・・・」 そう耳元で囁き、耳たぶを噛んだ。 そこに吹く風は冷たい。 でも、未だに墓所に花は絶えない。 自分たちがそこを離れるときも、若い娘が籠いっぱいの花を持って、そこに入るのを待っていた。 一方で、無駄な戦役を課したという怨嗟も消えているわけではない。 果たして、自分や穎が死んだ後に残るのはどちらだろうか。 否、常に墓を守ってくれる人がいるような生き方をしなければならない。 「最後に礼を、穎様」 墓に向かって、一礼をする。 「すごいよなあ・・・」 「何がですか?」 「忠誠心が」 「主君に仕える者はそれがなくては意味がありませんよ」 盧志の意外な言葉に、穎は驚いた。穏やかな顔をして、言うことは厳しい。 「それがどんな主君であってもか? 劉禅は姜維を信頼していたとは思えないぞ」 「・・・信頼されても忠誠を返さない者もおります」 穎は得心したように笑って、盧志の肩を抱いて寄せる。 「なんですか?」 「別に・・・ただこうしたいだけだ、気にするな」 本当は解っている。生きようが死のうが、多分心を変えずについてくるのは彼だけだと。 確約があるわけではないが、そこまで信じられるのが彼だけだ。 「ここからはもう桟道はありませんよ。さあ、馬をお使い下さい」 「本当だな?」 「嘘かもしれませんね?」 盧志はいつも真顔で穎をからかう。だが。 「でも、俺はお前を信用する」 穎はそう言うと、馬にまたがった。盧志は少し驚いたような顔をしたが、誰にも解らないように少しだけ笑い、彼に続いたのだった。 光が顔に当たる。 眩しい光に、穎は目を細めながらゆっくりと起き上がる。 半身を起こして周囲を眺めてみると、見慣れた天蓋、壁。そして、傍らに盧志。 彼の腕に巻き付いている飾りのついた紐を何とはなしに取って、手の上にのせてみる。 その飾りは芙蓉の花の形をしていた。以前盧志が、「成都城は昔、芙蓉城と呼ばれたのですよ、縁起物です」とくれたものだった。それを昨日付けていて、盧志に外されたのだった。 ・・・夢?だな・・・それにしてはずいぶんと。 そうだ。成都など行ったこともない。まして・・・・ 飾りを手でもてあそびながら、じっと見る。 夢にしてはずいぶんリアルだった。あれは何なのだろう? 非現実的なことは信じないが、何かの予兆か何かか? その時、身じろぎながら盧志が目を覚まし、無表情の柔らかい声が発せられる。 「すみません、私の方が遅かったですね・・・」 「ああ、かまわない、別に・・・」 考え込むような顔の穎を見て、盧志はそっと聞いた。 「どうなさいました?」 「今日は何日だ?」 穎が尋ねる。 「・・・何か?」 「・・・・・・・・」 「姜伯約の夢ですか?」 盧志の言葉に、穎は驚いて目を見開く。手に持った物が落ちたのに気づかないくらい。 彼は半身を起こし飾りを拾うと、穎の手にもう一度飾りを握らせ、囁く。 「私も見ましたよ」 盧志の言葉、そしてその後、彼は穎の首に腕を回す。 すぐそばでその目を・・・穎の、薄い茶色の目を覗き込んで囁いた。 「私の忠誠心はあなたに」 「ああ」 「あなたの信頼は私にありますか?」 だが、答えを待つことなく、唇をふさがれた。 もちろんだよ、と、穎は思う。でも、彼さえいれば怖くない。だから、答える必要はない。 答えたって答えなくたって、どちらにしろ、盧志はここにいるのだから。 盧志が居る限り、その忠誠心と信頼も共にあるのだから。 終わり(2010.02.17) あとがきは今日の日記をどぞ。 |
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