Pupil of amethyst

夜半に目を覚ます。月明かりがかすかに届くだけの闇は、眼を開いたばかりの目にはあまりにも暗すぎ、その闇にぞっとして思わず身を竦ませる。
そっと腕を伸ばして隣を探ると共寝の相手の胸に触れ、少しほっとした。
「どうした?」
声をかけられ、少し驚いた。眠っているものかと思ったからだ。
返事を待たずに相手の腕が伸びてきて、抱えられるようにその腕の中に収まった。
引き締まった腕の筋肉の暖かさに、ほっとしたのと、どこかやるせない感情とが半分くらい。
「・・・まだ足りないか?」
思いのほか熱い吐息が耳元に吹き込まれ、驚いて思わずうわずった声をあげてしまう。
ぞくりとしたのは、この闇のせいだけではないようで。
「い・・・いいえっ・・・!」
「冗談だ」
ふっと笑われ、少しだけなさけ無い気分に捕らわれる。
目を閉じようとするが、相手が何をしているのか少しだけ気になった。
軽く身体をひねって仰向けに自分に腕を差し出している男を見ると、何かを反対の手に持って、まるで月にでも透かして見るかのように、天に向けている。
徐々に目が慣れてくると、それがなにかぼんやりとした、丸い、珠であることだけはわかった。
「それは何ですか?」
慕容沖は苻堅が手にしている丸い珠のようなものを見て尋ねた。
手のひらに乗る大きさだが、重そうで、それでいて澄んだ輝きのある宝玉のように見えた。
闇の中のほんの少しの光さえ吸い込み輝くように、ぼんやりと光って見える。
見たことのあるものではないからつい、好奇心にかられて聞いてしまったのだが。
「これか? めずらしいだろう? ・・・紫水晶の宝玉らしい」
そう言うと、「ほら」と、彼の手に握らせる。
ひんやりとした水晶玉は蝋燭の光をうけて、少々不気味にも見えた。
その奥底に映る自分たちまでもぼんやりとした光の中で歪んで見える。
「・・・で、これを何に使うのですか?」
そう尋ねたところで、苻堅は笑った。
「姉弟で同じ事を聞くんだな」と。
・・・ああ、姉上もそう言ったのか。
慕容沖は苦笑した。
同じような場面で同じように言ったのかと思うだけで、もう苦笑しか浮かばない。
「まあ、何に使うわけでもない。献上されたからなあ・・・でも、一つしかないんだ」
「では姉上に」
「いや、彼女は弟にあげて、と・・・・二人して譲り合って、本当に同じだな」
それを譲り合いと判断する・・・素直なお心根に本当に感激ですよ、と慕容沖は心の中でだけ呟いた。
もし、自分の同族・・・例えば、近い兄の慕容泓などにそのように言ったら、「二人して俺からの贈り物はいらないとかってすげーむかつくんですけど!」くらいは言って、剣を抜いて追いかけ回してくるはず。彼ならば笑いながらではあるだろうけど、相手によっては本当に後々まで恨まれる言葉だ。
そういう発想が無いことが、彼の美徳であり、また、多分つつけば弱点なのだろうな、と思う。
「もし、二つ揃ったら一つずつ下さい」
穏便に済まそうと、慕容沖はそう言ってその宝玉を苻堅の手に返した。
苻堅は「ああ」と軽く言い、その丸い珠を無造作に枕元に置く。それ以上の興味はないようだ。
そして、慕容沖の頭を自分の方に向かせると、そっと唇を重ねてきた。
かすかに口を開いてそれに応えながら、ふと、その珠が気になる。
あの手に持ったときの重さとひやりとした感触、そしてぼんやりとこの闇の中でさえ輝く石。
・・・欲しい・・・な、やっぱり・・・・
彼の頭を抱え込むように細い腕を伸ばす。いきづむような長い口づけの中、ただぼんやりと考えていた。
・・・貰えば良かった



「あれを見たのですってね?」
慕容沖の姉・清河公主は微笑を浮かべながら言った。
半身を脇息に預けるようにして楽な姿勢でくつろいでいる姉の姿に、ほんの少しどきりとした。
「あれ?」
「水晶玉よ。どうやったらあんな風にまんまるになるのかしら。不思議よね?」
思い出しながら言う彼女の言葉に、慕容沖は昨夜のあの手に持った感触を思い出す。
ひやりとした感触、ぼんやりとした光、そしてあの色・・・・あれを、明るい中で見てみたい。
「あなたはあれが欲しかった?」
まるで悪戯を見つけられた子のように、姉の言葉に慕容沖は少し赤くなる。
「え・・・?・・・いや・・・・でも、綺麗だし・・・・」
「うん、そうね。・・・貰っちゃって良かったのに。私はいらないのよ」
でも、「あなた」が二つ揃ったら下さいなんて言ったんだから、きっと捜してると思うわ・・・
姉はくすくす笑いながら言い、弟をからかう。
「なっ・・・・」
「あなたが彼にそんなことを言うなんて、驚きだわ。よほど気に入ったのね。今からでも下さいって言うといいわよ」
「え・・・でも・・・・」
「そんなに、気に入ったんだったら人のことなんか考えちゃダメよ」
そして言った。
「無理にでも手に入れれば、少なくとも気は済むから。・・・彼のようにね」
「!!」
慕容沖は目を見開いた。
姉はあくまで笑顔ではあったが、その内面に冷たい何かが隠れているのを見逃すはずもなく。
もともと、綺麗なだけの人ではないのだ。気性だって、穏やかとはほど遠い・・・もっとも、鮮卑族の女性は大概そうである。女性に限らず、気性はあまり穏やかではない。だからこそ、身内どうしても憎み合えば平気で殺し合う。愛してしまえば血縁など気にはしない。そんな自分たちを当てこすったようにも、また、自分自身のことを言ったような気もする。
決して見せてくれない姉の本心をこの美しい瞳の中から捜すのは、なかなか至難の業だ。
「姉上・・・・」
「くれるって言うのだからありがたく貰えばいいのよ」
あくまで一般論にすり替えているが、そういう意味でないことだけは明確だった。
どう答えて良いのかわからない慕容沖に、姉はふっと笑って言う。
「それに、私、あれはいらないわ・・・・あの色、見たでしょう?」
「ええ」
「紫色の水晶なんて・・・・ずっと見張られている気分になると思わない?」
姉は、そう言いながら慕容沖の目の傍で人差し指を立て、突き刺す真似をする。
「でも、あなたはきっと別の意味を見いだして気に入ったんでしょう?だったら今のうちにいただいてしまいなさい。私からも言ってあげる」
まるで、一瞬たりとも自分の身近には置きたくない、そのような口調で姉は笑顔のまま冷たく言うのだった。

確かに、あの紫は・・・どこかその色がかった苻堅の目を彷彿とさせる。

何かを聞いても曖昧にしか答えず、意味を逸らしてしまう姉の心境は、弟には全くと言っていいほどわからない。
嫌いなのかと思っているが、よく見ていると、彼女の目は意外にも苻堅を追っている。
好き嫌いよりも興味が先か、それでも興味を持つだけ、ただ嫌いながらここで生きていくよりはましなのか。
或いは、本当は好きなのではないか、そう思ったときもある。
「意外に、普通の考え方をするのね」
「え?」
「まあ、あなたが考えているような理由でないことだけは確かだけど。あなたには関係ないんじゃない?」
冷たく突き放され、取り残されたような気持ちになる。更に追い打ちをかけるように彼女の唇が歪んだ。
「・・・いいこと教えようか?」
姉は意地悪く笑って言った。
「私はあなたのことも同じように目で追ってるかもしれないわよ?」
「どういう・・・」
「さあて? まあ、これは、例え。理由なんて無くても良いでしょう? 私は見たいものを見てるってだけ、周囲にとっては。でも私の見たい理由なんて、私以外には関係ないことだから。それだけよ」
言いたくないことにはくどくどと回りくどい言い訳をする。たいがいこれを聞いているうちにゲンナリしてどうでもよくなる。
「だいたい、あなたはどうなの?」
「え?」
「あなたこそ、どう思ってるの?」
何を、とは言わない。相手が自分の言葉に引っかかってくるのを待つ、巧妙さ。
さて。どう答えようか、慕容沖が考えている間に、姉はくすくすと笑い出した。
「なーんて・・・ね?」



寒々とした先日の会話を思い出しながら、慕容沖はそれでもつとめて優しく姉に聞いた。
「姉上は、何か欲しいものとか・・・・」
「無いわ、そんなもの」
彼女はそう言い切った。
慕容沖の心が少し痛む。
「・・・そんな顔しなくても・・・」
姉は彼の表情に気づくと慌てて微笑む。
「あなたさえいれば、何もいらないわ、私は」
柔らかい微笑が広がる。
本当にそんな訳はない。
彼女が一番要求したいのは、弟・慕容沖の、後宮からの解放だろう。
いれば、ではない、ここからいなくなってくれれば、が本望なのだ。
「ほら! そんな顔しないの! ・・・仕方がない子ね」
姉は笑いながら言うと、近くにあった琵琶を手元に取った。
「だいぶん上手になったのよ、聞いてくれる?」
「勿論」
慕容沖も、慌てて笑顔を作り直した。
彼女の琵琶を聞きながら、外を眺める。
夕刻近く、西の空が赤く染まってくる中で奏でられる琵琶の音に、彼は目を細めた。
・・・姉はここを、おそらくは生きては出られない
・・・自分がここをいつか去れば、彼女はどうするのだろうか?
言い得ぬ不安に、いきなり姉の腕を掴んだ。
「わっ・・・何するの?」
驚いて目を見開いた彼女に、思わず抱きついてしまった。
「・・・どうしたの?」
「なんでもない」
「なんでもないわけ、無いでしょう?」
姉は琵琶を脇に置き、彼を自分の隣に座らせ、肩を抱く。
優しく肩を撫でながら、無言で身体をよせあって。
お互いの境遇を嘆くにも、既に言葉も出ない。
「ねえ・・・あの水晶玉・・・・」
姉は、静かに言った。
「貰ったら、何に使うつもりなの? ただ飾るの?」
「・・・違います」
「ふうん? 飾る以外の用途なんて無さそうだけど・・・まさか、削って装飾品にでもするつもり?」
「いいえ、あのまんまるが気に入ってるんです、そんなこと勿体なくて出来ないですよ」
「そうねえ、人に言えないような事に使うつもりなのかしら?」
「・・・さあ?」
「でも、水晶玉の人に言えない使い道って、思いつかないわ」
「なんだっていいでしょう? 姉上はいらないんだから・・・それこそ姉上には関係ない、でしょう?」
ちくりと、先日の仕返し。
「それもそうだわね」
二人は笑い合う。



そして、その水晶玉は慕容沖のものになった。
手渡すときに一緒にいた清河公主が笑いながら言う。
「陛下は綺麗なだけで何の役にも立たないものがお好きですね」
「言ってくれるな、美しいというだけで存在価値はあるだろう?」
苦笑を浮かべて言う苻堅に、彼女は微笑を浮かべるだけで、決して答えはしなかった。
・・・そうね、私たちの存在価値は、この水晶玉となんのかわりもない。
自分の人としての無価値さは、この水晶玉以下だと彼女は思う。
水晶の輝きは永遠かもしれない。だが、人間は・・・・
・・・美しいというだけで存在価値があるのなら、それが壊れたら、価値が無くなるということ
彼は自分が何を言っているのか、解っているのだろうか?
何も考えていない、いま、その場での言葉かもしれない。でも、考えないで出る言葉は本音でもあるのだ。
・・・いつか、私はどうなるのかな?
ふと、弟を見る。
余程気に入っているのか、魅入られたようにそれを手に乗せてぼうっとしている。
「気に入ったか?」
「はい、それはもう・・・・」
礼を言うのも忘れて見入ってる彼に苻堅は苦笑を浮かべる。
「なんだ、前は姉上にとか言ってたくせに・・・まあ良い。気に入っているのなら」
「そうですね、でも・・・あれじゃつまらないわ。・・・ね、鳳凰はほうっておきません? あちらに参りましょうよ」
そう言って、彼女は苻堅の腕に自分の手をからませた。



一人残された部屋で、慕容沖は考える。
姉の言葉を心の中で繰り返しながら。
・・・美しいだけで、何の役にも立たない物
そう、そんなもの、何の力も持たない。
この水晶玉・・・そう、奴の目の色だ。そんなことは解っていた。
そしてこれは、何の役にも立たないもの。
それでも、美しいから。
・・・欲しいものはどうしても手に入れたい、それは僕も同じですよ・・・・
同じだから、自分と同じくらい危険ということに気がついたときに、奴はどのような顔をするのだろうか。
「楽しみにしていてくださいね」
そう言うと、その水晶玉を両手に掲げ持ち、恭しく唇を近付ける。
「・・・私は、それだけではないですから・・・」



終わり
(2010.11.09)


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