灰色うさぎの物語 in 蜀


蜀宮廷内の、奥まった、更にその最奥の後宮の庭。
皇太子妃がそこで何か遊ぼうと、そっと出てきた。
賑やかな遊びを嫌い一人地味に何かをしているのを好きな彼女は、侍女ですら遠ざけて一人で過ごすことが多い。
さて、今日は何をしようかな・・・と思いながら庭を眺めていると、草の茂みが小さくさわさわ揺れ、中から雑巾の塊みたいなものが飛び出してきた。
「・・・猫かと思った。うさぎなんて珍しい・・・」
皇太子妃・・・ 費夫人は、近づく。
なんだか薄汚い色で、目つきの悪い、中途半端な大きさのうさぎが警戒しつつ、こちらを見ていた。
「ま、なんだかきったないし、目つきも可愛くないわね。・・・おいで。」
「・・・・・」
うさぎは睨みながら、それでもおずおずと近づいてくる。お腹が空いているようにも見えた。
なんだかその惨めったらしい姿に、費夫人はすこしだけ胸が痛んだ。
「ほら、何もしなくってよ。食べ物、あげるわ。」
そして、のそのそ近づいてきたうさぎをむんずっと捕まえた。
ばたばた暴れたが、そもそも費夫人は自分が良いことをするつもりなので、まったく怖じ気づかない。
「厨房から逃げてきたのかしらね? ・・・こんなにぼろっちくなっちゃって。まあ、その心意気だけは凄いかも。」
そういうと、部屋の中に連れ込んだ。
「ごはんをあげる。でもその前に、まずお風呂に入りましょうかね。そうしたら綺麗になるわよ。もうちょっとましな見栄えになるかも。」
「!!」
「こんなんじゃもてないわよ。」
余程嫌だったのか逃げようとしたが、彼女の腕力の方が(当然)上だった。
費夫人は心は優しいし手先は器用だったので気持ちよく洗えている筈なのだが、うさぎは大暴れした。
彼女の着ていた絹の服は台無しになったが、うさぎは綺麗になる。
「ん、ほら、綺麗になったわよ〜〜。あら、ぞうきんみたいな色だと思ったら、結構綺麗な灰色ね。」
笑いながら膝に乗せ、丁寧に拭きながらブラッシングしてくれる彼女を悪い人だとは思わない。
でも、何となく恐いな、とうさぎは思った。

・・・さてと。この脱走うさぎ、今から厨房も可哀想だし、どうしたものかしらね。

すこし考えていて、先日、費禕から聞いていた話を思い出す。
なんでも、姜維の家のペットが死んでしまい、家族がどんより落ちこんでいるという。
「そうだ。姜将軍の家に押しつけましょう。」
自分が飼えないことはない。だが、宮廷内より、広い外の方が幸せな気がした。
「じゃ、私も脱走脱走。」
費夫人は着替える。町娘のような格好をして、そして、うさぎを小さな籠に入れようとした。
嫌がって暴れるうさぎに、費夫人は見下ろしながら静かに言った。
「あんまり言うことをきかないと、子上って名前にして、あなたのこと虐めるわよ・・・・」
「・・・・・!!!!!」
「ね、大人しくしなさい。」
にっこりと笑う顔は菩薩のようだが、うさぎは何となく、何故この女が恐いのか解ってきた。
だが、逆らうのはひとつも良いことがない、それだけは理解できたようだ。
どうやら相手に敵意はないようすだし。
「さてと。・・・あとは・・・・」
部屋を出て、きょろきょろすると、すぐに宦官に見つかった。
「ちょっと! アナタなにしてるのよ!・・・その格好! まさかまた脱走・・・」
黄皓に捕まり、費夫人はにこにこして言う。
「あらんv お土産持ってくるからちょっと見逃して。ね?」
言いながらその手に、自分の腕輪を握らせる。
「象牙の細工物ね。ふ〜ん、いいわねえ。」
「でしょ? お願い。」
「・・・いい、日暮れが門限よ。それまでに戻ってよ! アタシが怒られちゃうわ・・・」
ぶつぶつ言っていたが、表情は行って良いよということを現していた。
「有り難う。お土産待ってて下さいませ。いつものアレ。」
「どうでもいいわよ。見つからないようにね。」
こそこそ立ち去る費夫人を見て、思う。
実は、部屋の中での会話を聞いていたのだ。

・・・子上って名前にして、アンタのこと虐めるわよ・・・

黄皓は、一つの格言を思い出していた。
・・・この親にして、この子あり。
例のオジギソウ事件を思い出していたのだ。


宮廷の門を越え、塀を越え、山を越え?、谷を越え?、はるばる戻ってきた実家のとなり、姜維の家。
多分姜維はいないんじゃないかなーと思ったけれど、誰かいればいいわ、そう思って扉を叩こうとしたとき。
「何してるんです?」
背後から、とても聞き覚えのある声。
「あ・・・・あらら・・・お父様・・・・」
「・・・何をしてるんですか・・・?」
背後には、引きつった顔をして費禕が立っていた。
「実はかくかくしかじか・・・・」
「理由なんかどうでもよろしい。・・・また、抜け出してきたんですか?」
「私が悪いんじゃありません。抜け出せる程度の警備が悪いんです!」
「・・・あなたは牢屋でもどうにかして抜け出すでしょうよ・・・まったく。」
費禕は溜息をついた。
娘は皇太子妃として後宮に入っている筈なのに、何故か、家にいたり、どこかに遊びに行ってたり、町中で買い物をしていたりする。
後宮=抜け出せない、と思っている世間の面々からは、「きっと何か妖術を・・・」などと噂をされているのも知っている。
だが、案外簡単に抜け出せるものなのだ。宦官に賄賂を渡し、変装してこっそり抜け出す、これ最強。
・・・見つかると大罪なので、誰もやらないだけで。
「これ。」
費夫人は籠をあける。
すると、中から、何やらするどい突き刺すような視線。
「うわっ!・・・なんですか、このかわいくないうさぎは・・・しかも灰色なんて、変わった・・・」
「拾ったんだけど、姜将軍の家にあげようと思って。」
「晩ご飯ですか?」
「・・・いえ、・・・・ペットとしてなんですけど。」
ああ、そういうことか・・・と、費禕は頷いた。
「にしても、可愛くないですね、このうさぎ・・・」
「不細工じゃないんですの。・・・ちょっと目つきが悪いというか、陰険そうというか・・・・」
「・・・・・・」
費禕とにらみ合いになるそのうさぎ。しばらく睨んだ後、ふん、と顔を背けた。
心なしか、鼻で笑っているような気もする。
「・・・生意気そうですね・・・」
「あらら、やっぱりお父様もそう思います?」
「ええ。・・・まあでも、喜ぶかもしれませんよ。たで食う虫も好きずきですし。」
明らかに好意的でない表現をしていると、うさぎは耳をばたばたさせた。
「あら、怒ってるわ・・・」
「・・・生意気・・・・」
「まあまあ、お父様。・・・じゃあこれ、姜将軍に差し上げてくださいな。」
「ええ、まあそれはかまいませんけれど。」
結局、うさぎは費禕が渡すことになり、費夫人は早々に宮廷に帰った。
ちゃんと、おみやげの成都饅頭を買ってから。
「あら、有り難う。別にいいのに。」
「あら、いいなら私が食べるわ。」
そう言って取りあげようとすると、黄皓はそれを引っ込める。
「ちょっと! それは無いでしょ!」
「やっぱり欲しいんだ〜。ふふ、太るわよ。」
「余計なお世話よ!」
ぷんすこぷんで立ち去る黄皓を見ながら、費夫人は今日のあのうさぎを思い出していた。
「あのうさぎちゃんも、可愛がって貰えるといいわねえ・・・・。」
姜維の家は女の人ばかりだし、きっと愛されるわ、あんな面構えでも・・・と、費夫人は思った。
思っていたのだが・・・。


一方の姜維の家。
姜維は、ほとほと困り果てていた。
「・・・いい加減にしないと、本当にバター焼きにするぞ・・・・」
引きつりながらうさぎを追いかけ回す姜維。
費禕はあきれて見ている。夏侯覇も呆然と見守っている。
家族も、訳のわからない顔をして、見ていた。

「懐かない?」
「ああ。・・・・それも、伯約にだけ。」
噂はすぐに、費夫人にも届く。
あのうさぎは、姜維にだけは懐かず、懐かないだけならまだしも、超攻撃的らしいのだ。
服を噛んでぼろぼろにする、卓上に飛び上がり大暴れ、寝台は滅茶苦茶・・・などなど。
「あら、かわいくないなーとは思いましたけど、そこまでだったのですか・・・・。」
「ですか・・・ってね、君・・・・」
費禕は溜息をついた。
「子供には慣れているらしくて、大人しいようですが・・・」
「なら良いじゃないですか? どうせ普段は家にいないし・・・」
「・・・君、シビアですね・・・」
「私は認識できる現実を述べているだけです。」
姜維達軍人は、単身赴任が多いのだから、仕方ない・・・それを言っただけなのに。
もっとも、「単身」かどうかもわからないけれどーー?・・・・とは、流石に言わなかったが。
「最初に子上なんて言っちゃったから、相性が悪いのかしらね?」
「・・・・は?」
費禕が眉を顰めた。
「言うことを聞かなかったときに、“子上っていう名前にして虐めるわよ?”・・・って、言ったんだけど、それが原因かしらね?」
「・・・・・・・・・」
費禕は、自分のオジギソウを思い出した。
そして、娘の内面が自分に似ていることを、改めて認識した。
そういえば、あの戦争の後、よく司馬昭の事を愚痴りつつ、酒を飲んだような記憶。
娘はどうも、はっきりと覚えている様子である。
「・・・そ・・・・それ、伯約には・・・?」
「言ってないけど、家族には手紙で言ったわ・・・悪戯したらそういって叱れ、って。・・・あらら、やっぱり悪さばっかりしたのね・・・・」
費夫人はえへへ、と笑った。
どうりで、と費禕は思った。
姜維の家族が、余程姜維に反発でもしない限り、そんな名前を付けるとは思いもよらなかったのだ。


「考えてもみろ!!」
姜維はめずらしく、切れている。目の前で、夏侯覇がその罵声を黙って聞いている。費禕は驚いて目を見開く。
「いいか! 娘がなあ、“さあ、お風呂入ろうね、子上”とか言ってるのを聞いただけでこっちはむかむかするんだ!」
「・・・・・・・・」
いや、だってお風呂くらい、入れるだろう?・・・名前は関係ないよな、うさぎだし。
「一緒のおふとんで寝ようね〜子上た〜ん、・・・って、つれていくんだぞ!!」
「・・・・・・・・」
それは単に温かいからじゃないのか?・・・名前は関係ないよな、うさぎだし。
「しかも、あのうさぎ野郎はふふん、って顔して見るんだぞ!!」
いや、それ、気のせいだから。ていうか、うさぎだぞ?!
夏侯覇は何万回もそう言ったが、姜維の脳内には届いていないようである。だからもう。何も言わない。
費禕も、どう言えばいいか考えているようだ。
「・・・ようするに、伯約もいっしょにお風呂に入ればいいんじゃない?」
「馬鹿者!! 10才過ぎの娘と風呂になんか入れるか! なんという破廉恥な!!」
「・・・いや、だから、伯約が、うさぎとお風呂に入れば・・・・」
すると、夏侯覇がぽつりと言った。
「・・・俺ならうさぎより娘だな・・・」
「魏に帰れ!! この変態!! 娘に近づくな! 今後一切、出入り禁止!!!」
「いや、冗談だけど、ま、そう熱くなるなよ・・・・」
夏侯覇はへらへら笑って言ったが、姜維の冷たい目線は更に冷たくなっていくだけだった。
費禕は益々、あたまを抱えた。
「・・・あ、でも改名すれば? かわいい名前を付けてみればいいじゃないか。」
「・・・それは駄目だ。」
「何故?」
どうも、姜維は複雑な心理状態らしかった。
たしかに、改名すればいい気もする。
だが、今のむかむか、そしてそれで怒鳴り散らすには、やっぱりその名前がいいらしいという・・・・。
「・・・ストレスはかなり無くなるんだ。“子上!この馬鹿うさぎ! バター焼きにするぞ!”・・・って言うとな・・・・」
そして、溜息をついた。
いつもは自分が家にいると、娘達が「お父様〜v」と群がってくれるのに、今回ばかりはうさぎに人気を取られ、自分がちょっと放置されているのも実はむかついていたりするが、それは流石に口には出さなかった。


「あらま・・・。私の命名で、そんな事が。まあでも、それってある意味、上手くいってません?」
「・・・君って本当に、楽観的だね。」
「そうでもなきゃ・・・・」
こんな国で皇太子妃なんてなれませんよーーーーーだ!・・・・と言いたかったが、さすがに父も「こんな国」を作った一人であるので、そこまでは言わないでおいてあげた。
まあ、「こんな国」である原因は、父や姜維にあるわけではないのだし。
「それは仲良しなんですよ、放置して大丈夫ですわ。まあでも、名前は悪かったわね。・・・せめて伯済とか士載の方が良かったかしら?」
「いや、それはそれで・・・」
「だって、うさぎ相手なら兵を出す必要も無いし、ちょうどいいストレス解消ですわ。あのうさぎだって、あの奥様と子供達にあまやかされて太らずにすみますし。」
「・・・いや、それがね。」
費禕は溜息をついた。
姜維の北伐熱が、三倍速でヒートアップしつつあるのだ。
・・・あのうさぎのせいで。
むかついてたまらなくなる、あの馬鹿を思い出すと!!・・・と。
馬鹿と言うほど司馬昭とつきあいがあったのかは知らない。
「あらあら。逆効果になってしまったのですね。」
「だろう? 何とかならないものか・・・・」
その時、部屋の隅でかたん、という音がした。
二人は一瞬びくっとするが、人間がたてるような大きな音ではなく、もっとささやかな。
小動物くらいの大きさのものが、立てそうな音・・・。
「・・・何かしら?」
費夫人は立ち上がり、部屋の隅に行くと・・・。
「あらららら・・・、お父様、見て!」
彼女は、屈み込んだ。

 

 


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